トモオフィス/廃品打楽器協会

ブレーン 2007年6月号 「青山デザイン会議」

brain2007-06
新聞・雑誌掲載
時計2007年6月6日(水)

ブレーン 2007年6月号 「青山デザイン会議」
名児耶秀美さん、古野雅子さん、山口ともの対談記事が掲載されました。

ブレーン

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▼本文より

名児耶 山口さんが遅れているようなので、先に話を始めましょうか。
僕は2002年に「+d」というデザイナーとコラボレーションしてつくるブランドを立ち上げ、リスクをはって進めることと商品開発のデザインコンサルタントの仕事をしています。もともとジャパンデザインは世界のトップクラスだと僕は信じているのですが、いま一つ世界で認められていないことをとても口惜しく思っていたのです。「+d」は、日本の若いデザイナーたちの作品や、その作品にこめられた思いを世界的に向けて広めていき、メイドインジャパンでつくることがコンセプトになっています。
いま扱っているアイテムは約35アイテム、お付き合いのあるデザイナーは約40名。自分で何かをやるというより、遠いところに向けてまち がいのないように伝えていくことを大切にしています。

古野 私はもともと京都出身で、神社仏閣や和菓子のような日本の美がとても身近にありました。そしてある時、コピーライターとして、地元京都の伝統的な名工をレポートする機会があったんです。そこで金箔や瓦、宮大工というような様々な職人さんたちを取材する中で、その技術のすばらしさを再認識すると同時に、世界に発信されず、後継者にも恵まれず廃れようとしている状況を目の当たりにして・・・。まず若い人たちに日本のデザインの美しさを再認識してもらいたいと思ったことが、私のデザインへの旅のスタートでした。

名児耶 最初はどんなことから始めたのですか。

古野 まず古い着物のパッチワーク的なものをつくりました。北野天満宮の天神さんのような市で古着物を買ってきて、それをバラして、テキストスタイルとしてTシャツに取り入れたり。そうすればずっと伝わってきた日本の柄を身近に感じることができると思ったんです。いまは日本各地の伝統ある機屋さんと一緒に、素材開発をしながらお洋服をつくり、国内外に発信する窓口のようなことをしています。ただそのお洋服は、1日に5センチ、10センチしか織れない生地ですから、工芸品に近い扱いでとても高価になってしまうので、オーダー服用になります。ですから、もう少しカジュアルに着てもらえるように、江戸時代の手捺染という版画プリントの技術を取り入れた、ストレッチ素材のカジュアルなお洋服もつくっています。今も着ているんですけれども(笑)。

名児耶 菊柄ですね。日本の心だ。

古野 ええ、先ほど名児耶さんもおっしゃっていましたけれど、私もジャパンデザインって本当にすばらしいと思うんです。和柄一つをとっても意味があって、たとえば菊だったら厄除けや不老長寿、うろこ柄だったら、厄年の女性の魔よけの意味が込められている。いまに伝えられている「良いもの」は、意味や重いが有るから、現代でも発見できるような形で残っているのだと思います。そういう意味や思いを、デザインを利用しながら現代の人に伝えていくことが、私の仕事の面白みだと思っています。

名児耶 日本人はなぜか自分たちのすばらしさに気付いていない人が多いですよね。海外からは評価されているのに自覚がないというか。たとえばゴッホもゴーギャンも浮世絵を模写していますけれど、日本人は「浮世絵なんて瓦版みたいなものでしょ?」と軽んじていた。ヨーロッパの文化は基本的に王族や貴族が支えたものだけれど、日本では民衆が培った文化ですよね。力をみんながもっているから、なかなか良さに気付かないのかもしれない。すばらしい技術を持った職人さんもなぜか自身がないでしょう。褒めると「これしかできないんだよ」なんて下を向いたりして。「そんなすごいものを作っておきながら何を言っているんですか?」と思わず大きな声を出したくなってしまいます。

古野 そうなんです。もったいない。自身をなくしたのは、戦争のせいかもしれないですね。それまで守ってきた価値観が壊れて、自分たちのやっていたことに自身をなくしてしまったというか。

名児耶 鎖国までは頑なな日本人らしさを守ってきたのに。でも日本人の柔軟性ってすごい。僕、つねづね日本人って世界一じゃないかと思っています。すばらしい文化を持ち、でも柔軟に他の文化を取り入れる能力にも長けているなんて、すごいことですよ。

古野 私もそう思います。押しが弱いから悔しい思いをすることもあるけど、その謙虚さゆえに美しい部分が一杯ある。

名児耶 そうですね。特にデザインというのは、思いやりから生まれるものですから。相手のことを考える思いやりの中に、どきどきするようなアートの心が入っているものが良いデザインだと思う。きっと日本人って、NOと言えないのではなくて、相手のことを考えているからNOと言えないんですよね。ジャパンデザインが優れている理由は、そういうところにもあると思います。

吉野 本当に同感です。謙虚で、相手を思いやる気持ちがあるから繊細な気づかいができて、それが作り出すものにも現れている。

名児耶 トヨタの車なんて、相手のことを考えすぎ、世界水準から考えても親切すぎるほどよくできている(笑)。

吉野 携帯電話もそうですよね、誰もそこまで見ていない(笑)。でもそれが日本のいいところなんですよ。

「したたか」なデザイン

名児耶 ただ、日本人はもっと「したたかさ」を身につける必要があると思います。「したたか」には「強か」と「健か」という字があるんです。広辞苑で調べたんですけど(笑)。「健か」であるためには、自分が健康でなければならない。健康でいられるから、強く対等でいられる。よくずるがしこいような意味で使われますけど、本来はそういうネガティブなイメージの言葉ではなかったんです。そういう「健やさ」を、日本人はもっと持つべきだと思います。
先日の「+d」はフランクフルトのアビエンテという世界有数の消費財展示会に出展したんですけど、そのなかに、すばらしくレベルが高い作品の集まる人気のフロアがあるんです僕は「そのフロアで展示できないなら舌噛んで死ぬ!」と公言して、「健か」にあの手この手を使って入り込みました(笑)。

古野 いつも感じるのですが、海外へ出ると日本人は優し過ぎる。他国のビジネス人達は「健か」に仕事していますよね(笑)。ところで「+d」で活躍されているデザイナーさんたちとは、どういうご縁でお付き合いが始まるんですか?

名児耶 いろいろなデザインコンペやデザイナーから持ち込まれたりします。中にはこんな発想のものをつくりたいのでこちらからデザインをお願いをする場合もあります。地場活性化のプロジェクトを秘めいる会社を一本釣りすることにしています。10社全部を成功させるのは難しいけれど、2,3社を真剣に成功させれば、後からついてくるでしょう。

古野 私も同じです、一本釣り。私の場合、職人さんとのおつきあいなので、もう一つ、「後継者がいるかどうか」、つまり若い人たちがいきいきとしてがんばっているかどうかという点を目安にしています。お父様の仕事を尊敬していたり、誇りに思っていたり、学びに来ている若い人たちがいたり・・・彼らに引き継ごうという意思があるかどうかはわかりませんが、とにかく学ぼうとい猪突猛進にがんばってらっしゃる。そういうところに可能性を感じるんです。

名児耶 まさにテンポシャルですね。

古野 はい。彼らにもっと上を見てもらう、夢を持ってもらうことって、私たちくらいの世代の氏名かなと思ったりもするんです。私たちは、ある程度いろいろなものを見てきて、そして世界をまわる体力があって、一つの世代と、一つしたの世代を結びつけることのできる世代でしょう。そんなちょっぴりの使命感をもって、世代を循環させる。自分たちの利益だけではなくて、循環させていく発想がすごく重要視されていると思うんです。私たち芸術ではなくて、あくまでも商業ビジネスをしているんですから。名児耶さんも高島屋宣伝部のご出身とお聞きしましたけれど、私もコピーライターの経験で流通を知っていたことがとてもラッキーでした。

名児耶 出口を知らずにやっていると自己満足で終わってしまいますからね。「良いもの作っているのに認めてくれない」と嘆く人がいるけど、嘆く前に自分で何とか出口まで探さないと。

古野 モチベーションが高い若い人たちだったら、出口を考えずに情熱のまま飛び込んでもいいと思うんですが・・・。

名児耶 たしかに、考えて行動するか、行動して考えるか、どちらでもできるのが理想的。そのサポートのために、僕らのような存在がいるわけですし。

吉野 先日ヨーロッパに行ってきたのですが、海外に向かう気持ちとしてはまさに出陣隊です。道なきところをブルドーザーで切り開いていく感覚。私はパリ万博の時のように、日本の美をお土産に、世界と交流の場をつくりたいんです。私はもともと広告出身で畑違いですから、日本のファッションデザイナー先達が築いてくださった歴史を学びながら今の市場、時代の傾向に合わせて少し違う視点から、日本のファッションを提案しています。いだから私、自分がファッションデザイナーって呼ばれるのは違和感があるんです。

名児耶 わかる気がします。大学の講義で生徒に「先生の職業はなんですか」と質問されたことがあるんですけど、自分でも「なんだろうな」って考えちゃった(笑)。もともとはデザイナーのはずなんですけど。ただ、いま“デザイン”というと、見てくれの色や形のことだと思っている人が多いでしょう。たしかに0から1を生むのがデザインだけれど、デザイナーの仕事は1では終わりません。デザインして形に作りこみ、そこから誰かに届け、届いたあともメンテナンスのことも考えて・・・すべての工程がデザインなんですよね。これも広辞苑で調べてみたら、通常使う「意匠、図案」という意味のほかに、「機能や生産工程・消費面などを考えて構想すること」という意味が書いてあるんです。

古野 じゃ私たち、自然に二つ目のデザインをやっていたんですね。すごいじゃないですか。しかも広辞苑にきちんと載っているなんて(笑)。

名児耶 そう、でもデザイナーの仕事は1終わりだと思われている節があるし、そう思っているデザイナーも少なくない。だからあまり、自分のことをいわいる「デザイナー」だとは思わなくなっているんです。しかし0から1を生み出すデザイナーってすごい力だと尊敬しています。

≪理屈ではない心地よさが世界で一つをつくる≫

(山口ともさんが登場)
山口 遅くなってすみません!

名児耶 いえいえ、ちょうど「デザイン」について意気投合していたところです(笑)。

山口 僕は、廃品で楽器を作って子どもたちを洗脳している者です。よろしくお願いします。

古野 いい洗脳ですね(笑)。私、ミュージシャンを目指していた時期もあって、音楽の自由な表現がすごく羨ましいんです。ボーダレスで、一瞬で世界に広がることができて。それはもちろんはかりしれないほど大変なことでしょうけれど。

山口 音楽って、その楽器の音をきれいに出すように練習しなくてはいけないというところがとっつきにくさだと思うんですけど、それってドレミファソラシドのせいなんです。僕がつくる楽器は、ドレミファソラシドの調律がありません。調律されていると、その音を出してきちんとしたメロディを奏でないとダメな気がして、面倒になってしまう。でも、この音はなんだかきれいだ、この音を叩きたい、この音で遊びたい、という気持ちのほうが大切でしょう。だったらドレミファソラシドなんてバラバラにしちゃえばいい。そう思って作ったのが、「なんでも琴」という楽器です。魚屋さんでいただけるトロ箱に、100円ショップで売っているスポンジテーを貼って、その上に、木でも金属でもガラスでもプラスチックでも、好きなものをのせる。それだけですごくキレイに音が響くんですよ。

古野 わあ、楽しそう。

山口 自分の好きな素材をいっぱい集めて、好きな長さで切って、自分だけの「なんでも琴」をつくってみよう、というワークショップをしているんです。それなら間違えようがないし、自分にしか出せない音が出せる。はじっこから順番に叩くだけでも、立派に世界で一つの音楽になります。

名児耶 理屈ではなく、自然に音を聞いて感じる素朴な心地よさってありますね。僕もこの前、古い民家の古道具屋で太鼓を買ったんです。見た瞬間「こいつ、俺に叩かれがってる」と感じて(笑)。よく酔っ払った時に一人でぽこぽこ叩くんですよ。由緒ある太古でもなく、リズムもめちゃくちゃなんですけど、気持ち良いんです。

山口 好きな音楽って誰でもあるから、それを大切にするのがいちばんいいと思います。先日、お台場の日本科学未来館のメガスターという王ら寝たり生むの音楽を全部担当させてもらいました。その時、いろいろな音を集めている川崎義博先生に、僕がいままでにつくった何百という音を聞いていたら、自分が好きな音楽には法則があることがよくわかって。誰もが自分が気に入ったものをもっと大事にしていったら、きっともっと楽しい世の中になるような気がすごくしました。

古野 私、2004年にプラネタリウムでファッションショーをしたんです。

山口 真っ暗ななんかでですか?

古野 はい、デザインの模様をぐるぐる映写して。ちょっと目がまわる感じですけど(笑)。闇って漢学が研ぎ澄まされて不思議です。
山口 僕も子どもたちと真っ暗な中でセッションしたんですけど、誰もが大きな音を出さなかったことが印象的でした。満点の星というのは、年齢関係なく誰でも美しく思うものなんだと再認識しました。

吉野 プラネタリウムでショーを行ったのにはもう一つ理由があるんです。実は世界各地で残っている伝統文様って、まさに宇宙の造詣投影しているものなんです。たとえば超新星爆発。星が爆発する時、池に石を投げた時に波紋が広がるようにぱらぱらと広がっていくんですけど、あれはまさに私がテーマにしている菊の文様と同じですし、星雲の渦はナルトの渦巻きに通じます。さらに渦巻き模様は縄文時代からあるもので・・・そんなふうに過去と現代が同列につながっている感覚に気付いた時、すごく興奮するし、自分で考えていた人間の限界みたいものが、パーッと開いて広がるんです。いくらでも、なんでも、すべてがアイデアになる。

名児耶 マクロの支店とミクロの視点、いまおっしゃった星の爆発と菊の柄のよいうな、とても大きな視点と、非常に身近なものを見る視点というのはとても大切だと思います。そういう見方をすると、ものの見方が柔軟になって、真理に近づける気がします。僕はよく何かをつくる時「目を閉じて100年後に何をつくっているか想像してみて」というんです。100年後、僕たちはいない。けれど、そこでつくられるものは、どのようなものだろう。そう考えることで、いま何をつくればいいかが見えてくることがあります。

みんな「赤ちゃん」になろう

山口 何かを見ると時に、何を加えるとどう変わるかを見ていくことも面白い。そう思うから僕は道に落ちていたものや、使い道が終わったものを叩いて音を出すことで、命をふきこんで、次のものへと変えていく作業をしているのかなと思ったりしうるんです。その作業ではどんどん面白い音が出てきて、でも二度と同じ音はありません。おそらく本来音楽とはそういうもので、すべてが一度きりのセッション。それは人としてプレイヤーとしての本当の生き方でもあると思っています。音を出すことに対して、やってはいけないことなんてないと思うんです。食事の時に食器を叩くと、お母さんが「ダメ」って言いますけど、それくらいで。子どもたちには、自分の好きな音を出してもらって、その音を出している時を好きになってもらいたいんです。教えるより何より、それが一番、音楽を好きになる近道だと思っています。

名児耶 みんな、赤ちゃんに戻ればいいのかもしれないですね。きっと新しく感じるものって、禁忌やタブーを犯していたり、白沼に誰かが作ってきた「やっちゃいけないこと」をふとやっているんだと思うんです。だから、カテゴライズされている世界のカテゴリーを取り外して、赤ちゃんに戻って、「きれいだね」とか、「いいね」とか、自分が感じるままに表現してみることが重要なんでしょうね。

山口 絶対そうだと思います。それはもう、1000年だっても、人間がどんなに進化しても、誕生は同じですから、変わらないと思います。

古野 私もそういうことをいつも考えています。こういう話ができてうれしく思います。

名児耶 そういう意味でも、いまってすごく面白い時期だと思うんです。ちょうど何かが生まれてくる感覚があるんですね。

山口 この前オーケストラと一緒にガラクタ音楽会をしました。昔なら考えられませんよね。いろいろなことに対して、理解が広くなってきたのかもしれない。

名児耶 日本人が柔軟性という、本来の心を取り戻している感じがしますね。

山口 そうですね。日本人は世界一ですからね。

古野 あ!

山口 え?

名児耶 山口さんがいらっしゃる前に、同じことを話していたんです。日本人は繊細で柔軟性があって世界一なのに、自信がないのがもったいないって。

古野 あまり“世界一”って出てこないのに(笑)。シンクロしてましたね。

山口 そうですか、いや、お顔を拝見した時から、同じ星からきた方たちかなと思っていました。話さなくても通じちゃいました・・・なんちゃって。

古野 もう、こうなったら日本人は胸を張って行かないと(笑)。

山口 あともったいないと思うのは、最近は何でもネットですませてしまうこと。自分の肌で感じ取った説得力のようなものを、みんなもっと大切にしたらいいのにと思います。自分で見て、さわって、食べて、それで好きどうかを決めたほうが、世の中、楽しくなるはずです。

古野 原点に戻るということ。みんながもともと持っているものを取り戻してあげることが必要なんでしょうね。

名児耶 そして自分の好きなものをたくさん身のまわりに集めて、赤ちゃんのような素直な感覚で可能性を広げていく。それがこれからの発想の大きなヒントになるかもしれないですね。