トモオフィス/廃品打楽器協会

教育音楽 1999年6月号に掲載されました

教育音楽
新聞・雑誌掲載
時計1999年6月6日(日)

「授業の達人」「総合的な学習」への提案
音の生まれる場所 ~音楽之友社「教育音楽」1999年6月号より

教育音楽

教育音楽

▼本文より

自分が音楽を楽しまなければ
聴きにきてくれた人を 楽しませられない
山口とも

“ゴミ”を持ち込んで成功したN.Y.でのいパフォーマンス

 ’98年5月、川崎市麻生文化センターで行われたパーカッション・フェスティバルの中のフィナーレ曲でN.Y.のパーカッション・グループ『パルス』と共演しました。僕のパフォーマンスを見た彼らから、「きみはずいぶん面白いことをしているな、N.Y.に来てパフォーマンスをしてみないか」と言われ、今年の2月に渡米しました。

 フェスティバルの時に僕がやっていたパフォーマンスとは、両足に一斗缶を履き、両手にデッキ・ブラシを持ち、手と足で床を打ち、歩きながらリズム出す……といったものでした。普段から僕は落ちているゴミを利用して何か面白い楽器ができないかと考えていて、拾ってきたゴミに手を加えてオリジナルの楽器を幾つも作り上げてきました。その楽器でのパフォーマンスが彼らの目に留まったことは、とても嬉しいことです。

 『パルス』のメンバーはみんなN.Y.でプロのミュージシャンとして活躍しています。メンバーの一人、マイケル・リプセイ氏は二つの大学で音楽の先生をしていて、彼からの依頼でクイーンズ・カレッジのマスター・クラスの生徒たちの前で、パフォーマンスをすることになりました。

 日本から持っていった僕のオリジナル楽器たち-「スペース・スプリング」「ビン・キャップ・ドラム」「鉄アングル」「クスノキ・ドラム」「サンゴ・チャイム」「アッシュ・ベル」「エア・コンダクト=ダクトちゃん」-をパイプオルガンがある大きなホールの中、15人程の生徒たちの前で歌を歌いながら演奏し、最後に一斗缶のリズム・ダンスでしめた僕のパフォーマンスは、とても盛り上がりました。楽器紹介の時、生徒たちは、今までみたこともない形の僕の楽器を興味深く見ていました。

 マイケル・リプセイ氏からは、「あなたみたいな演奏スタイルは初めてみた。私があなたの楽器のための曲を書いたら演奏してくれますか?」と言われました。N.Y.での初めてのパフォーマンスは一応成功したのはでないかと思います。

 僕は、子供から老人まで楽しめるような言葉のいらない音楽を目指しています。頭で難しく考える音楽よりも、単純に目や耳で楽しめる音楽のほうが僕は好きなのです。僕のパフォーマンスが、言葉の通じないN.Y.でも喜んでもらえたことで、自分の音楽スタイルは間違っていなかったんだなぁと改めて思いました。

パーカッションは、何を使っても、どんな音を出してもいいパート

 つのだ☆ひろ率いる”JAP’S GAP’S”というバンドでデビューする時に、ドラマーがひろさんと僕の二人になってしまい、二人いる必要がないため、僕がパーカッションに転向することになったのがきっかけかな。

 パーカッションというパートは、こうじゃなくちゃいけないとかそうしないとダメとかがなくて、何を使っても、どんな音を出してもいいパート。曲の味付けをする。曲を聴いて感じた自分の世界を表現できる。空気・色・匂い・温度・人として感じるすべてのことを音で表せるパート。だから演奏のインスピレーション、センスがストレートに音に出る。僕の場合、町中で見つける様々なゴミから自分だけの音の世界を作り出せることが、パーカッションの最大の魅力です。

 1995年に音楽劇『銀河鉄道の夜』の音楽を演奏することになり、既製の楽器ではどうしても思った通りの音が出せず、それなら自分で楽器を作ってみようと思い、結局『銀河~』で使った楽器はすべて手作りのものになりました。
 N.Y.に持っていった「スペース・スプリング」はその時作ったもの。空き缶を空き缶の間を長いバネでつないであって、叩くとプショーン……何とも宇宙的な音がします。最近作った楽器の中でも特に僕が気に入っているのは、「アッシュ・ベル」という楽器です。灰皿スタンドの上下を組み替えてネジでつないだものなのですが、見た目も格好よく、アルプスの少女ハイジが走り回っている丘に鳴り響く鐘のような音がします。

 車で走っていても道の脇に落ちているゴミに目がいってしまいます。ゴミが落ちている姿を見て、どんな楽器になるかな考えている時が楽しいですね。いかにゴミだったと思われないように工夫するかが、僕の中での楽器作りの大きなポイントです。僕の楽器たちは、ゴミのアートでもあるのです。

みんなと同じじゃやだ、という子にした方が面白い

 小・中・高、音楽の成績はまるでダメでした。学校では、音楽は楽しいものだということを教えてもらえなかった気がします。「ドミソがハ長調Cのコードです」とか、「歌・リコーダー・ハーモニカのテストをします」とか先生が言うことは全然楽しくなかった。間違えちゃいけない、そんな事しか頭に残ってないです。

 美術の方がまだ自分の感じるままを表現できる気がしました。「貝の絵を描きましょう」貝を上から見ようが下から見ようが貝の内側を想像しようが、一つの貝をどう描いてもいい。そんな自由な発想が音楽でもできたらいいなと思います。

 例えば、音楽の授業中は必ず足踏みをする、とか面白いと思う。右、左、右、左、その場で足踏み。全員でも一人でも、何か発言する時は必ず足踏み。笛を吹く時も、先生おはようございます。さようならの挨拶も足踏み。時にテンポを速く、遅く、先生も教えながら足踏み。

 先生、足踏みの練習したらダメですよ。先生が足踏みに気を取られて何を言っているのか解らなくなるのが楽しいんです。

 全身でリズムを自由に感じる……それが音楽なのです。全員で足踏みすれば、一人一人の音が合わさって一つの大きなリズムを刻んでいることが実感できると思います。

 みんなと同じじゃなくてはいけない、という子にするより、みんなと同じじゃいやだ、という子にした方が面白い。機会があったら、日本の生徒たちの前でもパフォーマンスをして、打楽器の面白さ、素晴らしさを伝えたい。それを見た生徒たちが一人でも将来パーカッショニストになりたいと思ってくれたら嬉しいです。

 音楽、……音を楽しむ。決して楽しむことを忘れてはいけない。その言葉の上に私がありたい、なくてはいけないと思っています。自分自身が音楽を楽しんでいなければ、それを聴きにきてくれた人を楽しませたり、気持ちよくさせることができないと思う。

※このページは音楽之友社の承諾をいただいた上で記事を掲載しております。