いずみホール音楽情報誌 Jupiter
2006年12月~2007年1月
山口ともの記事が掲載されました。
▼本文より
NHK「ドレミノテレビ」で”ともとも”として知られている打楽器奏者・山口ともが「いずみ子どもカレッジ」に登場。生活の中から出るゴミでつくった廃品打楽器の”驚異の美音”と楽しいパフォーマンスは、鮮烈な印象を残しました。
「お仕着せ」よりも・・・
祖父が作曲家(童謡「かわいい魚やさん」の山口保治氏)、父が演奏家(新日本フィルのティンパニー名誉首席奏者、山口浩一氏)という音楽一家に育ちました。祖父にソルフェージュをやらされていたときは、嫌で嫌でたまらなく、習いに来ている子ども達の靴に砂を入れるなどして、クビ状態に(笑)。やらされて学ぶのではなく、遊んで自然に学んでいく事が多かった。祖父の部屋にある木琴などをたたいて遊んでは怒られていましたね。
ものの構造を知ることが好き
学校でも音楽の時間が嫌いでした。比べたり、点数をつけたりするのは、何のためにやっているのかわからない。「なぜできないんだ」と詰問されることがショックでした。できないことは、できないんですから。それよりも自転車を改造したり、プラモデルをつくったりしていました。
つのだ☆ひろさんと出会って
高校生のとき、ジャズのバンドでドラムを見て「カッコいいなぁ」。オケにドラムはないじゃないですか。憧れて、父親の太鼓を集めてドラムセットの真似事をしました。すると、うるさいと近所から苦情が(笑)。大学入試に落ちてぶらぶらしていたら、父に「どうしたいんだ、この先」と聞かれ「太鼓をたたきたい」と答えました。父はあちこちに当たり、ひょんなことから、つのだ☆ひろさんのアシスタントの仕事を見つけてきてくれたのです。初仕事は高松まで14時間の車の運転。付き人として何でもやりました。洗濯しながら、そのへんのものをたたいてみることも。最高の4年間でしたね。最後は「つのだ☆ひろとJAP’S GAP’S」のメンバーにしてもらって。ひろさんに、ドラマーは2人いらないから、パーカッショニストになれ、と言われて打楽器を自己流で始めました。
廃品からアイディアをしぼりだす
廃品打楽器を始めたのは1995年に音楽劇「銀河鉄道の夜」の音楽を担当してから。既成の楽器にない音が必要だったのです。不思議な音ができました。ぼくは情景を作る演奏が好きなので、とても気に入りました。その後も”あまり他にはない”ということ、”すてきな音がする”ということに惹かれ続けています。ゴミを使ったのはお金がなかったから。後に「エコ」と言われましたが偶然です(笑)。アイデアをしぼりだすのは楽しいし、こんなものでもこんな音が作れるじゃん、って発見がある。僕の楽器はどれも調律されていませんが、そんな音の世界にも音楽家は存在します。鍵盤の並び順もドレミファである必要はなく、自分の好きなようにどんどん変えられるのです。
音の楽しさを求めて
ひたすら技術、技術に走っているミュージシャンを見たら、つまらないな、と僕は思います。音楽の楽しさが伝わればそれでいい。そして聴いてくれたひとがそこに自分の楽しさを見つけてくれたらいい。そこに僕の存在した意味があると思います。
なぜ<打楽器>を選んだのですか?
一番「山口とも」という人の音楽を表現しやすい自由なパートだからです。アーティストのサポート演奏にはいったら、パーカッションの譜面にはただ”with feeling”と書いてあるだけ。他にはそういうパートはありません。だから面白くて。