VENT 音楽教育ヴァン 2004年3月VOL.3
▼本文より
打楽器奏者・写真家
山口とも 音のアトリエを訪ねて
キリギリスとのセッション
吉川:あぁ、これ。
山田:テレビで見ましたよ(笑)。
とも:バラエティー番組で、「キリギリスの鳴き声をつくってください」と頼まれたものですね。
古川:おもしろい企画を考えるなぁ、と思いました。
とも:キリギリスには「鳴き返し」という習慣があるらしいんです。絶滅の危機にあるというキリギリスを鳴かせて発見しよう、というねらいでしたね。
山田:鳴き声は知っていたのですか?
とも:テレビ局の人が本物をカゴに入れて持って来ましたよ。それから5日間、鳴き返させようと試しましたが、そう簡単にはいきませんでしたね。ギロの音を応用するイメージで切ったペットボトルを櫛でこすってみたのですが、スティック代わりにした櫛の材質に問題があるようでした。結局200円で買った櫛に、鈴を付けるアイディアが浮かび、やってみたら鳴き返したんです。
吉川:鈴を付けるアイディアが浮かぶあたり、普通ではないですね。
とも:結果的にこれがポイントになったみたいです。鈴の音の高い周波数にどうも化学的な共通点がある、なんてことになり、数値を計測しに大学まで行ったんですよ。
山田・吉川:(身を乗り出して)それでどうでした?
とも:全然共通してない!(一同大笑い)
山田:でも、鳴けば勝ちですよね。それにしても、これ、2年生の共通教材『虫のこえ』で使いたいなぁ。
打楽器奏者への道
山田:どんなきっかけで、音楽と出会ったのですか?やっぱりお父様の影響でしょうか。
とも:音楽が常に鳴っているところで生活していたことは確かですね。朝起きたときから何かしら聞こえてました。
山田:ティンパニの音とかですか?
とも:(笑)そこまでの居住空間ではなかったですけどね。小学校時代からは祖父の家に移り、そこでは音楽教室を開いていました。僕は男3人兄弟なんですけれど、祖母が歌やピアノを教えていて、「あんたたち、歌やんなさい」ということになったんです。学校から帰ってくると兄弟揃ってソルフェージュをやらされる日々が始まりました。それがもう、いやでいやで(笑)。
山田・吉川:分かるなぁ (笑)。
とも:発表会にも出て歌いましたよ。強制的に。たまらずに、2年ぐらいでやめていました。
山田:辛かったソルフェージュの影響で、音楽嫌いになりませんでしたか?
とも:子どもながらに「これを乗り越えないと音楽家になれないんだな」となんとなくは思いましたけど、嫌いにはなりませんでしたね。一方で、レッスン室においてある父の木琴やヴァイブラフォーンなどを叩いておもちゃ代わりに遊んでいましたから。よく怒られましたけど。
吉川:本格的にドラムを始められたのはいつからですか。
とも:中学校や高校のころではなく、もっと後なんです。大学受験がうまくいかず、どうしようかというときに、「タイコでも叩こうかな」とふと思ってしまった。そんな時期に運良く、つのだ☆ひろさんのアシスタントになるチャンスを得ることができました。つのださんというと『メリー・ジェーン』が有名だけど、13歳のとき渡辺貞夫のバックでモントレー・ジャズフェスティバルに出演した経歴を持つほど、ドラマーとしても高い実力の持ち主なんです。
山田:そのときから始められたとは意外ですね。でも基礎打ちなどのテクニックは、既にお父様から習われていたのではないですか。
とも:いや、父からは一切何も教わっていませんでした。「やれ」と言われたこともなかったですし。
山田・吉川:えぇーっ!(驚く)
とも:僕が真剣にテクニックを学んだのは、つのださんと出会ってからなんです。そしてそれは徹底して「見て真似る」、というやり方でした。つのださんは「俺は教えたりしないぞ」が口ぐせの人でしたから。修業に近いですね。
吉川:その時代に、今のともさんのバックグラウンドが出来上がっていったわけですね。
とも:つのださんのもとで、ドラムの基礎を習得できたのはとてもいい経験だったと思います。でもその反面、つのださんとまるで同じようなドラマーになっていることに、何か物足りないと感じたのも事実。ドラマーにもさまざまなタイプのミュージシャンがいて、その人らしさのある演奏を「これもいいなぁ」と思って聴いていたし、気にもなっていた。「自分らしさ」って一体どういうものだろう、と技術だけでなく演奏スタイルの追求に目覚めた時期がありました。独立してやっていこうとしたころですね。
こうした思いは、今の活動の基盤にもあるのかもしれないですね。
吉川:そうした考えに立つことは、何かの影響によってのことなのでしょうか。
とも:子どものころから、いろんな音楽が好きだったことは関係しているかもしれません。レコード会社に勤務する叔父がジャズを聴かせてくれるなど幅広く音楽を聴ける環境に恵まれていました。『TakeFive』など、おもしろいなーって聴いたのを覚えています。そんなふうにさまざまな音楽に興味を持てたことは、僕の原点かもしれないですね。
「つくって表現」をめぐって
吉川:小学校の音楽教育の中で、「つくって表現」と呼ばれる活動に関心が集まったことがありました。「音楽をつくる」ということはそれ自体とても創造的なことであったにもかかわらず、「つくる」という活動のみになってしまった授業が見られました。私も含めてですけれど
山田:「学校の周りにある音で音楽をつくる」などの活動に、私も取り組んだ覚えがあります。子どもの可能性を発見できる喜びが得られた反面、その活動を徐々に積み重ねていくことによってどんな力が付いて、その後、音楽の学習の中にどう生きてくるのか、疑問に感じる点もありました。
とも:音探しや即興的な活動を子どもたちと体験したことがありますが、最初から子どもたちに丸投げしてしまって、「作品としてまとめなさい」と要求することは、やっぱりかなり無理があることですよね。教師の投げかけ、例えばリズムでの約束ごとなど、「音楽にしていくよ!」ということをきちんと示した上で生活するほうが楽しいではないかな。
吉川:なるほど。教師側に明確なねらいというか、活動のイメージがないと学習としては成立しませんね。
山田:なんでも自由にやってごらん、ではないわけですね。
とも:「これが音楽になっていくんだな」と子どもたちが意識できるように、教師が積極的にかかわるべきだと思いますね。それに、先生がいちばん楽しんでいるくらいではないと子どもは付いて来ないかもしれない。
吉川:われわれ自身の引き出しの中に、たくさんの何かが入っていなければならないですね。
山田:でも、その蓄えが大変なんですよね。
とも:子どもって、大人だったら別に気にならない部分、見落としてしまうような面にすごくこだわったりする。子どもと遊ぶことって大事だと思いますよ。
山田:教師的な発言になってしまいますが、「つくって表現」の活動に対して、これで子どもたちにどういった力が付くのか、またどう認めていったらいいのか、判断の難しさはどうしても感じるのです。これについては、どんなふうにお考えになりますか。
とも:うーん、難しいですね。僕だったら「その子がどれだけいい表現をしたか」とか気になるし、「どうだった?」って感想を聞きたいけれど、授業だとそう単純な話しではすまないですよね。ただ、子どもが濃密な満足感を得られている状況であるのに、「さらにあれもこれも」などとたくさんのことをやらせようとして、子どもが気付いた楽しみを理解してあげられないことがあってはよくないですね。大人はそうしないと何かやった気がしないのかもしれないけれど。「こんなことに気付いたんだね」「ちょっとみんな、○○くんを見てよ!」というふうに、教師が小さなことも見逃さないで、子どもたちのよさを引き出してあげることはとても大事なのでは、と思いますね。
山田:それはまさに今求められている「評価」かもしれませんね!教師や友だちがその子をちょっとでもいいところを見てあげるということ。これが子どものエネルギーにつながり、次の時間への意欲になっていくのです。
吉川:私も、教師が子どもたちをよく見てあげなければ、と強く感じますね。子どもの「気付き」に対して細やかに気を配り、意欲を掘り起こすよなきっかけを与えて、次につなげたいと思っています。
とも:音楽を一つ出すために、気持ちを入れ、集中し、感覚を研ぎ澄ますという機会が少なくなってはもったいないとかんじます。僕自身は、これからも自分の活動を通じて「音楽=音を楽しむこと」ということをモットーにしていきたいし、学校や授業の中で取り組まれていることで何かお役に立つことがあれば、先生方とのコミュニケーションの場を広げていきたいとも思っています。それにしても先生方も大変ですよね。1年間のノルマとかあるじゃないですか。
吉川:(?)年間カリキュラムなどのことでしょうか・・・。
とも:そうです、失礼しました(笑)。いろいろな側面から考えなければならないから、大変そうだなぁ、とつくづく感じました。
「人と同じじゃなくてもいいんだ」
吉川:『ドレミノテレビ』は小学校1・2年生を対象としたNHK教育番組ですけれど、この放送を見た子どもたちが、高学年になったときに、どんな力が身に付いていてほしいとお考えになりますか?
とも:そうですね、「~でなければならない」という発想ではなく自由にものを考えられる力とか、「人と同じじゃなくてもいいんだ」という考えで自分なりに表現できる力などが付いてくれればうれしいですね。
山田:頭ではそうと分かっていても、「~でなければならない」が身体に染み付いているのが教師なんだなぁ。
吉川:「人と同じじゃなくてもいいんだ」を、言葉だけではなく、学習の場全体に浸透させたいですね。
とも:それは学校でも番組でも同じですよ。『ドレミノテレビ』に一緒に出演しているUAさんをはじめ、美術、衣装、ヘアメイクなどのスタッフは、皆第一線で活躍している個性的な人たちばかり。若者文化の現状を知り尽くしているさまざまな分野の人たちが集まって、番組をつくっていると言えるかもしれないです。
吉川:初めて見たときは、ずいぶん前衛的というか、斬新だな(笑)と思いました。
山田:朝、1時間目に当たる時間帯から放映していますよね
とも:そう。当初僕も、NHKよく踏み切ったな、と思いましたよ。
山田・吉川:(爆笑)
とも:自分たちの仕事は、普段は若者や大人を楽しませることが中心です。でも彼らにだけ楽しんでもらうのではなく、教育の場にもいいと思う部分は紹介していこうよ、という思いをスタッフ皆が持っています。それが伝わっていくといいなと思いますね。
「本物」の音を求めて
山田:アトリエにはたくさんの“オリジナル楽器”があり、実際に音を聴かせていただきました。それぞれ音がすごく魅力的なんです。どうすればこんなにすてきな音が出てくるのでしょうか。打楽器奏者としての音色へのこだわりを強く感じました。
吉川:歌と一緒での演奏をお聴きしたときに、打楽器奏者として単にリズムを刻まれているのではなくて、手づくりの打楽器を織り交ぜ、「色彩豊か」と形容したくなるような響きをつくり上げていらしたのがとても印象的でした。
とも:打楽器は誰が叩いても音は出せます。それを音楽にするのが、僕の役目。一つのものを叩くとき、その気持ちがすごく正直に伝わってしまう楽器だと思います。悲しい音、楽しい音・・・。そして人間はそれらを聴き分けられる能力を持っているからおもしろいですよね。歌い手と一緒のとき考えることは、歌には歌詞があり、意味もある。その気持ちになって叩くと邪魔にならない。このことは音楽をやる上でとても大切なことだと思います。
吉川:音楽の中にはすごく奥行きを感じましたし、温かさがありました。
とも:今の世の中にある音楽、CDで聴くポップスなどは、リズムはもちろん、サウンド全体をコンピューターによってつくるのが主流です。技術が向上しているので、本物の楽器だと思えるほどです。「わぁ、すごいな」と最初は思うんだけど、僕は長く聴いていられない。“ツタツタツタツタ”と正確に刻むだけのリズムでは疲れるし、何度も聴く気にはどうしてもならないです。人間が演奏しているサウンドは飽きないし、くり返し聴くことができますよね。
山田:学校の音楽がまさにそうですけれど、皆と一緒に演奏する、ということは格別なものです。
とも:相手の音を聴く、聴く耳を持たせる、ということに通じますからね。それから、音があるとき、ないときをしっかり感じ取れることも大事な点です。常に音がある状態だけが音楽ではないですから。
吉川:最後になりましたが、私たちへ何かアドヴァイスをいただけませんでしょうか。時間が経つのを忘れていました。
とも:何をするにも「楽しむ」ことは本当に大切だと思います。ひとくちに言っても難しいけれど、結局そこに帰ってきてしまいます。先ほども出ましたが、「意欲」につなげるためにはまず「楽しむ」ことが大事、という考え方に大賛成。質の高い「楽しむ」場面を子どもたちに与えてほしいですね。ただ、あくまでもいろいろなことをやろうとしすぎず、余裕を持つことも忘れないようにしたいものですね。余裕がなくては、楽しさは伝わらないですから。