▼本文より
自己流一徹
山口とも (パーカッショニスト)
ブルース・オズボーン=写真
佳子オズボーン=取材・文
一徹身上書
数々の童謡をつくった作曲家の祖父、新日本フィルハーモニー交響楽団ティンパニ名誉首席奏者の父、女性パーカッショニストの伯母、現代音楽パーカッショニストの伯父。さらに曾祖父が愛知県で霞座という芝居小屋をもち、芸者の置屋も経営していたというから、根っからの芸人のDNAをもつ家系の長男として東京に生まれる。
1980年につのだ★ひろとJAP’S GAP’Sのパーカッショニストとしてデビュー。このバンドが解散後、フリーのパーカッショニストとして中山美穂、今井美樹、中西俊博など、数々のアーティストのツアーやレコーディングに参加。
1995年に音楽劇『銀河鉄道の夜』(原作:宮沢賢治)。この時宇宙的な音を要求されたことがきっかけとなり、独自の楽器をつくりはじめる。主な材料は拾い集めてきたゴミ。
1998年、パーカッションフェスティバルに参加。一斗缶とデッキブラシを使ってのパフォーマンスがNYクイーンズカレッジ教授の目にとまり、1999年、NYに招待される。『スペース・スプリング』『ビン・キャップ・ドラム』『サンゴ・チャイム』『エア・コンダクト=ダクトちゃん』などの手作りオリジナル楽器を使ってのパフォーマンスは好評を博して多いに盛り上がり言葉のいらない、目や耳で楽しめる音楽を目指す独自の音楽スタイルが間違っていなかったという自身を得る。
1995年から3年間、伊勢スペイン村のキャラクターショーの振り付けに挑戦。一度だけ教わった暗室の技術をたよりに、モノクロ写真の現像も自己流でマスター。
1996年に発売した中山美穂のファンクラブ用写真集では、カメラマンに挑戦。また、CDシングル「未来へのプレゼント」用の写真も撮った。
そのうえ、1997年には中山美穂のアルバムで、作曲家に挑戦する。拾ったギターを自己流にチューニングして、曲はできあがった。
自己流であるが故に生まれるオリジナリティを生かしつつ、質の高いアーティストを目指している。 夢は、ダンス、音楽、振り付け、そのうえ料理も含めたすべてをプロデュースして、何かがいつも起こっている、誰でも楽しめるテント(小屋)をつくること。
一徹からの提言
自己流という流派には、思いがけない発見があるもの。
12月10日には東京の大崎ゲートシティーでおおたか静流さんとピアノの黒田京子さんとの楽しいクリスマスライブを行います。皆さん是非来てください。