2005年8月26日の日本経済新聞に
記事が掲載されました。
▼本文より
ドンガラガッシャ ドンドン―。一斗缶のドラムをたたき、足にも灯油缶をはいてリズムを刻みながら練り歩く男たち。見ている子供たちが「ロボットみたい」と歓声を上げる。
一斗缶にバネつける
庭に捨てられた木の枝、フライパンや鍋のふた。こんな身の回りのゴミを「廃品パーカッション」に再生、演奏してきた。作った楽器はかれこれ八十種類ぐらい。一番よく使う一斗缶は、小学校の給食室などで不要になった物をもらう。鳴りをよくするために、周囲にクギやバネをつけて響きを増す。
建築現場でみつけた水道管用のプラスチックパイプは、名付けて「ベーン・パイプ」にする。長さの違う七、八本を束にして、しゃもじにスポンジをはおったものでたたくと「ベン、ベン」とユーモラスな音がする。
この音を伴奏にして、実家に生えていたクスの枝を並べた木琴を組み合わせると、邦楽器のようなハーモニーが生まれる。木琴の台に使うのは、鮮魚店で魚を入れる発泡スチロールの箱。これらの楽器で「さくらさくら」を演奏する。
祖母が持っていた古いカギは、十数本をぶら下げてジャラジャラとぶつけ合う「キーチャイム」に。エアコンのダ蛇腹のようなダクトは折り曲げて、ゴボゴボと音を出す「ダクトちゃん」に。町を歩いてゴミを見つけると「これが楽器にならないか」と考える。
SF映画のような音
フリーのパーカッショニストの私が、廃品打楽器に取り組んで十年ほどになる。祖父・山口保治は「かわいい魚屋さん」などの作曲家、父・山口浩一は新日本フィルに所属した打楽器奏者。特に音楽教育は受けなかったが、高校を出た後に何となく「ドラムって格好いいな」と思ってこの道に入った。つのだ☆ひろさんのアシスタントになり、八〇年にバンド「JAP’S GAP’S」でデビュー。解散した後は、中山美穂さんや今井美紀さんのツアーやレコーディングに参加した。
転機が訪れたのは九十五年。音楽劇「銀河鉄道の夜」(白井晃出演)に、打楽器担当として参加した。巨大な鉄骨で鉄道を表現した奇抜な舞台装置を見て、これに合う音は即製の楽器では出せないと思った。「今までに存在しない音」を考える位置、オリジナルの楽器を作ることを思いついた。
まず太いバネの両端に、食品の丸い缶を糸電話のように付けて「スペース・スプリング」を作った。金属の棒でバネをこすると「プシューン」とSF映画で聞くような音が出た。このほか、トタン板を棒でたたき、遠雷のような効果をつけた。こんな音をだしたら音楽監督のバイオリンニスト、中西俊博さんに「どうやって出してるの。面白い」と認められた。
独特のセンス問われる
打楽器奏者として平井堅さんやおおたか静流さんサーカスのバックを担当するために廃品打楽器を使うことが多い。パーカッYソンのパートには「こうしてはいけない」という決まりはない。曲の雰囲気を表現するには何をたたいてもいいのだが、その分独自のセンスが問われる。廃品楽器はまさにうってつけで、これでしか出せない自分だけの音をいつも追い求めている。
九〇年代、後半から環境問題への関心の高まりを背景に、自治体のイベント、幼稚園や小学校などへの出演も増えた。そこで二〇〇一年にはアシスタントたちと打楽器ユニットの「Ticobo(ティコボ)」を結成した。
私たちのステージは聞かせるだけでなく、参加することを大事にする。たとえばペットボトルに砂利やビーズを詰めたシェーカーの「ペッカー」を配り、ドレミの歌ならぬ「ドレもゴミの歌」に思い思いのリズムを刻んで参加してもらう。新聞紙をくしゃくしゃと丸めたりちぎったりする音も立派な音楽で、子供の目の色が変わってくる。
小学校のときから、テストの点数で評価されてしまうような音楽の授業は苦手だった。音楽は即製の概念で縛るべきものではない。廃品の楽器を子供が見て、自分で工夫することの面白さ、型にはまらない音楽の楽しさに気づいてくれたらうれしい。(やまぐち・とも=打楽器奏者)